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引用:チューリップテレビ
最近、日本の車いすフェンシング界で注目を浴びているのが富山市出身の河合紫乃(かわい・しの)さんです。
彼女は左脚のまひを乗り越え、アスリートとしての道を歩み続けるだけでなく、モデルとしても活躍しています。
当記事では、河合さんのこれまでの経歴と、彼女がどのようにして障害を乗り越えてきたのかを紹介します。
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バドミントンからの転身
河合さんはもともとバドミントンの選手として活躍していました。
しかし、度重なるケガの後遺症で左脚にまひが残り、車いす生活を送ることとなりました。
その後、彼女は車いすフェンシングという新しい競技に出会い、再びスポーツの世界での成功を夢見るようになりました。
車いすフェンシングについて
車いすフェンシングは固定された車いすに乗って戦うスポーツです。
バドミントンと同じように、相手との距離感や駆け引きが重要となるこの競技は、河合さんにとって再び輝くチャンスとなりました。

まとめ
河合さんはもともとバドミントンの選手として全国制覇を経験し、実業団選手としても活躍していました。
しかし、ケガの後遺症で左脚にまひが残り、車いす生活を送ることとなりました。
その後、2年間の治療と闘病生活を経て、新たなスポーツとして車いすフェンシングを始めることとなりました。
彼女の強い意志と努力の結果、競技を始めてわずか1年で日本代表に選ばれるまでになりました。
河合さんは「自分を変えたい」という強い思いから、車いすフェンシングに挑戦し続けています。
河合紫乃さんの物語は、障害を乗り越えて夢を追い続けることの大切さを教えてくれます。
彼女の姿から、私達も多くのことを学べることでしょう。
当記事は以上となります。